イギリスと日本では「ビールの常識」が異なります。ロンドンに20年以上暮らす宮田華子さんが 、イギリスの進化していくビール事情を紹介します。
イギリスでは真夏でもぬるいビールがおいしい!
日本の猛暑のニュースは、ロンドンにもしっかり届いている。この2カ月ほど、日本から受信するメールやLINEのほぼ全てに「日本は暴力的な暑さです」「殺人的に暑いのです。外に出られません」といった内容が書かれている。台風も重なり、本当に心配だ。
そんな中、イギリスの冷夏の話をするのは申し訳ない気がする。昨年は20年に渡るイギリス生活でもっとも暑い夏だったのに、今年はもっとも寒い夏だ。8月だというのに、半袖で外出できないほど寒い日が多い。
猛暑の話題はつらい話だが、あるお酒好きの編集者(東京在住)は、仕事のやりとりの最後に必ず「暑いけれど、冷たいビールが心の支え」「ビールは私を裏切らない(笑)」というクスっと笑える言葉を添えて、居酒屋や自宅で撮影したビールとおつまみの写真を送ってくれる。焼き鳥や冷ややっこなど、おいしそうなつまみと笑顔で晩酌する姿に、私も癒やされている。
お礼(?)に、私もときどきパブで撮影したビールの写真を送るのだが、先日送った写真に「わ~、冷たくておいしそう!」と返信してきた。このメッセージを受け取り、思わず笑ってしまった。なぜなら、私がそのとき飲んでいたのは、まったく冷たくない、生ぬるい「常温」ビールだったからだ。
さて、何と返信すべきか?(笑)
イギリスでは「ビールは冷たいもの」というわけではないのだが、テンポよくやりとりしているSNS上で書くには説明が長くなってしまう。そんなことを考えながら、10年程前に「本気のビール飲み」の友人とのあるやりとりを思い出した。
イギリスと日本、異なる「ビールの常識」
私は来英当時ほぼ下戸だったのだが、現在は1、2パイント(1パイント=568ミリリットル)程度であればおいしく飲めるまでに成長(?笑)した。きっかけはパブ好きの友人が数名できたことだ。彼らとの交友は続いているので、今も定期的に仕事終わりや週末にパブで会っている。お酒をたしなまなかった私に、彼らが半ば強引に「パブ&ビール英才教育」をほどこしてくれた。おかげでビールのおいしさを知り、イギリス生活がより楽しくなった。
日本とイギリスでは、ビールにまつわる常識や習慣において異なる点がたくさんある。日本からの旅行者の多くが最初に直面することとして「『ビールください』の一言だけでは注文できない」という点が挙げられる。
「生1杯!」では通じない?
例えば生ビール(ドラフトビール)が飲みたい場合、日本では「生ください」と言えば、冷え冷えのビールがジョッキでサーブされる。しかしイギリスで「ドラフト1杯ください」と言ったところで、店員に怪訝そうな顔をされてしまうのがオチだ。イギリスでは「銘柄」と「グラスのサイズ(量)」を指定した上でビールを頼むのが基本だからだ。
ビールどころであるパブはもちろんのこと、レストランでもビールを1種類しか置いていない店はほぼない。パブであればカウンターでラベルを見ながら、レストランであればメニューに書いてあるリストからビールを選んで注文するのだが、「ビール」と一口に言ってもいろいろある。
近年、日本でもクラフトビールや地ビールが多数出ているが、多くの場合「生ビール」といえばラガーのイメージがあるはずだ。しかしイギリスではサーバーから注がれるドラフトであっても、大きく分けて「ラガー」と「エール」の2種類がある。そしてエールはさらに細かくいろいろあり、「リアルエール」「スタウト(黒ビール)」「ペールエール」「IPA(インディアン・ペールエール)」「ベルジャン・ホワイト(白ビール)」など多種多様なのだ。
大手ビール会社が販売している定番ビールだけでも多いのだが、マイクロブルワリー(小規模醸造所)が手掛けるクラフトビールが全盛時代を迎えている現在、各社が新しいビールをどんどん開発・発売している。ビールの銘柄は爆発的に増えているが、人気のないものはすぐに淘汰(とうた)されてしまうので入れ替わりが激しい。
数あるビールの中からどの銘柄を仕入れるかは、そのパブが大手ビール会社のチェーン系配下か独立系かの違いに加え、経営者のセンスによっても異なる。「おいしい!」と思ったビールに出合っても、次にその店に行ったときにはもう取り扱っていないこともよくある。
ぬるいからおいしい「リアルエール」
パブに通い始めた当初、私も日本でおなじみの「冷たいラガー」を飲んでいた。しかしあるとき友人たちの多くが、ラガーではなく「リアルエール」を飲んでいることに気付いた。
毎回一口だけ試し飲みさせてもらっているうちに、少しずつ味が分かってきた。日本の「スッキリさっぱり」「のど越し最高」のビールとは違う。炭酸がほとんどなく、麦芽の匂いがふわりと漂い、濃い味わいが楽しめるのが「リアルエール」だ。
ラガーは下面発酵(5度前後で発酵)で醸造され「ケグ(keg)」と呼ばれるステンレス製のたるに詰められる。そして炭酸ガスの圧力を使い、ビールサーバーからグラスに注がれる。2~5度程度の温度でサーブされるので、日本と同じような冷たいのど越しが信条だ。
一方リアルエールは上面発酵(15~20度程度で発酵)で醸造される。ラガー誕生以前から作られてきた、昔ながらの製法のビールだ。「カスク(Cask)」と呼ばれるたるに入っており、炭酸は入っていない。カスクを置くセラーの室温は11~13度がベストとされ、そのまま冷却せずハンドパンプ(くみ上げ式)でグラスに注がれる。当然ながら生ぬるい。
飲み始めた頃は冷たくないビールに違和感があった。しかし冬が長く、夏も比較的涼しいロンドンに暮らしていると、「生ぬるいビールもアリなのだ」と思うようになった。そして最初こそ匂いや癖の強さが気になったものの、飲み慣れていくとラガーが「軽過ぎる」と感じるようになった。次第に友人よろしく私も「リアルエール派」になっていった。炭酸が入っていない分、一度たるが開いたら保存期間は短いため「売り切る自信」がない限りパブはリアルエールを仕入れない― そのことも友人たちの入れ知恵で知った。
Soon, and with much regret, we’ll be saying goodbye to our amazing GM Nick.
— The Southampton Arms (@southamptonNW5) June 3, 2023
As such we’re on the lookout for a new GM.
So if you’re reading this and fancy it, drop us a line, or if you know someone that might, give ‘em a nudge.
The email address is on our webpage. pic.twitter.com/xLpes8rb1e
上のX(旧Twitter)の投稿の写真に見えるように、確かに雰囲気、インテリアを含め「良いパブだな」と思う所には、たくさんのハンドパンプが立っている。しかし、一歩入って「さびれたパブだな」と思う店は、大手ビール会社のラガーばかりが並んでいる。
この「ぬるいビール話」を日本の友人に何度かしたことがあるが、「ぬるいビールのつまみって何?」という質問をされたことがある。イギリス人は、ビールを飲むときつまみをほぼ食べない。ピーナツやポテトチップス、豚の皮を揚げたものなどの袋詰め乾き物は大抵のパブで売っている。しかしイギリス人にとって、ビールとつまみはセットではないのだ。
しっかり食事も出す「ガストロパブ」もたくさんあるが、特に食事をしたいわけではなく「飲みたいだけ」であればつまみは無用。ひたすらビールだけをちびちび飲み続けるのがイギリス流の飲み方だ。
10年前の「あるやりとり」に話を戻す。
その日、仕事帰りにいつもの友人たちとパブで合流した。カウンターでリアルエールを注文してテーブルに着くと、友人のS君がニヤニヤ笑っている。
「最初の頃はあんまりエール好きじゃなかったみたいだったよねえ。それが今じゃ、ぬるいエールをつまみナシでおいしそうに飲んでる。ハナコもすっかりブリティッシュ・ドリンカー(イギリスののんべえ)だね」
「ああ、そうだったかもね。S君の教育のたまものです。サンキュー」と答えつつ、2人で「Cheers!」と音頭を取って乾杯した。「のんべえ」認定がうれしいなんてちょっと変だが、楽しい思い出として心に残っている。
クラフトビール隆盛時代。進化し続けるビール市場
S君に「ブリティッシュ・ドリンカー認定」を受けたあの日から10年。その後イギリスのビール業界は大きく変化した。ラガーもリアルエールも健在だが、現在は小さなブルワリーが増え、クラフトビール全盛時代となっている。
クラフトビールのトレンドはアメリカの影響が強いが、イギリスでは2002年にマイクロブルワリーに対する税率引き下げがあり、この時期に多くの若手起業家がクラフトビールの醸造に乗り出した。ブルワリーはコロナ禍で厳しい戦いを強いられたものの、今なお増え続けている。「Statista」のデータによるとイギリスのビールブルワリー数は2018年に1489カ所だったが、2022年は2426カ所とのこと。
大成功したマイクロブルワリーも多い。「自宅の小さな台所でビール作りを始め」「たった1軒の屋台で販売を始めた」的ブルワリーが、巨大企業に成長したり、大手ビール会社に買収されてミリオネアーが誕生したりする事例も後を絶たない。ビール醸造は「夢を見られる仕事」になったと言える。
クラフトビールはビールに新しい味を多数もたらしたが、元々はイギリスが発祥だったペールエールやIPA(インディア・ペールエール)が、アメリカから逆輸入される形でイギリスでも火が付いた。ペールエールも「エール」の一種ではあるが、ホップを利かせた爽快感が特徴であり、リアルエールよりも低い温度で飲むことが多い。
ここ数年でどのパブでもペールエールやIPAが楽しめるのようになった。私にぬるいビールのおいしさを教えてくれた「リアルエール派」だったはずのS君も、最近は「ビーバータウン・ブルワリー(Beavertown Brewery)」の「ネックオイル(Neck Oil、セッションIPA=アルコール度数の低いIPA)」が大のお気に入りだ。
「ビーバータウン・ブルワリー」はレッド・ツェッペリンのロバート・プラントの息子、ローガン・プラントによって2011年にマイクロブルワリーとして創業。かわいいドクロデザインのパイントグラスも功を奏し、「ビール好きなら知っている」隠れた人気のビールだった。しかし昨年ハイネケンに買収されると一気に販路を拡大し、広く飲まれる「今まさにトレンド」のIPAとなった。
パブに行くたびに「ネックオイル、あるかな?」と言っているS君を見るとなんだか裏切られた感もあるが、冷夏とはいえ地球温暖化の影響を受け、平均気温そのものは上がっているイギリス。軽くて冷たいのど越しのビールが人気なのもうなずける。
日本にも広まってほしい!洋梨のビール「ペリー」
かく言う私も、実は少し浮気している。
毎年8月に開催されるイギリス最大のビールフェスティバル「グレート・ブリティッシュ・ビール・フェスティバル(Great Britain Beer Festival、通称「GBBF」)」は、リアルエールとパブ文化保護のボランティア団体「キャンペーン・フォー・リアルエール(Campaign for Real Ale、通称「CAMRA」)」によって運営されている。イギリス全土および海外から数多くのビールが集まる楽しいイベントだ。
コロナ禍で2回キャンセルとなったものの、昨年からフル開催が復活。今年も8月1日~4日間開催され、行ってきたばかりだ。数年前のGBBFで、私は運命の出会いをしてしまった。それは洋梨を発酵させて作るビール「ペリー(Perry)」だ。
同じフルーツビールに「サイダー(cider)」と呼ばれるリンゴ酒がある。日本では「シードル」と呼ばれワインの仲間のような扱いだが、イギリスではビールの仲間としてどのパブでも飲むことができる。私はサイダーも大好きなのだが、ペリーはサイダーよりも酸味が弱く、まろやかな甘味が特徴だ。サイダー同様古い歴史を持つペリーだが、なぜかあまり流通しておらず、じわじわ人気が上昇してきたのはここ数年のことである。
ペリーを一口飲んで以来、私はすっかりこの甘いフルーツビールのとりこになった。今年のGBBFでもペリーばかり飲み続け、サイダー&ペリーのブースでサーブするボランティアの人たちにすっかり顔をおぼえられてしまった。
私が知る限り、ペリーは発泡がないものが主流だ。そしてキンキンに冷やすより適度にぬるい方が甘味とまろやかさがより味わえる。
ペリーの味は日本人の口に絶対合うと確信しているので、日本からの旅行者に勧めたり 、缶や瓶入りのものを帰国土産に持って帰ったりして、「おいしいの押し売り」をしているほどだ。日本の飲料メーカーに早く取り扱ってほしいと力強く思っている。
ところ変わればビール文化も変わる
おいしいと感じるものは、その土地の気候や風土で異なるものだ。寒いイギリスで鍛えられ、いっぱしのビール飲みになった私。長年リアルエールが支持されてきたことの意味を住みながら理解していった過程は、イギリス生活に慣れ、なじんだスピードと同じだった。
しかし、10年後も「イギリスはぬるいビールの国」と言い続けられるかは分からない。温暖化がより進めば、イギリスも「冷たいビールをきゅっと!」の国になるかもしれない。寒い7月8月を過ごしているが、6月はとても暑かった。連日30度越えの中、クーラーを求めてパブに何回か行ったが、そのとき積極的にぬるいエールを飲みたいと思わなかったのも事実だ。
できればこれ以上気候変動が進まないこと――これは世界中の人々の共通の願いであるはず。
冷たいビールもおいしい。でもぬるいビールもおいしい。これからもぬるいビールをちびちびおいしく味わえるイギリスであってほしい。そう心から願っている。
さてもうすぐこの原稿も書き終わる。書き終えたら、近所のパブまで散歩しよう。本日気温22度。どんなビールでもおいしい気温だ。今日は何にしようかな・・・。
連載「LONDON STORIES」
宮田華子さんによる本連載のその他のコラムを、ぜひこちらからご覧ください。